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買い物弱者

4月14日、総務省は2016(平成28)年10月1日時点の人口推計を1億2693万3000人(外国人を含む)と発表しました。この結果から、日本の総人口は2008(平成20)年をピークに約110万人減少したことになります。 日本の将来推計人口公表、1億人を下回るのは2053年に。前回推計より5年遅く  人口減少は社会や経済など、さまざまな分野に影響を及ぼします。それらは、私たちの暮らしに直結することもあります。そのひとつが、買い物です。日々、私たちは食料品をはじめシャンプーやトイレットペーパーといった日用品などを近所のスーパーや商店で購入しています。近年、生鮮食料品や日用品類を購入する店が相次いで閉店しているのです。  そのため、これまで当たり前のように購入できた日用品や生鮮食品が、簡単には手に入らなくなりつつあります。こうした社会状況に行政も動き出しました。 急増する買い物弱者 車がない若者や乳幼児の子育て世代も  「地域に根差したスーパーや商店が撤退・閉店している要因には、少子高齢化や人口減少、ネット通販の隆盛、大規模小売店による競争激化、後継者不在など、さまざまです」と話すのは経済産業省商務情報政策局流通政策課の担当者です。  経産省では日用品の買い物に不便をきたす人たちを買い物弱者と位置づけていますが、買い物弱者が行政課題として認識されるようになったのは約10年前まで遡ります。経産省は2009(平成21)年度に調査を開始し、2010(平成22)年に報告書を作成したのです。  当時、経産省は全国の買い物弱者を約600万人と推計。ところが、ここ数年間で社会状況は目まぐるしく変化しました。最近の調査で買い物弱者は100万人も増えて、約700万人と推計されています。  「700万人という数字は、あくまでも65歳以上の高齢者で日々の買い物に困っている人です。地方在住でありながら自動車免許を保有していない若者や乳幼児を抱えているために買い物で遠くまで出かけることができないパパ・ママなども買い物弱者といえます。そうした人たちを含めると、全国に1000万人程度の人たちが買い物弱者となっている可能性があるのです」(同)。 地価が高いため、小売店が出店できない。23区でも目立ち始めた買い物弱者  これまで買い物弱者を多く抱えていたのは、過疎化が進んでいる地方都市と思われがちでした。そのため、買い物弱者対策は地方の問題として受け取られていました。しかし、近年は東京23区内でも買い物弱者が目立つようになってきています。  都心部では生鮮食品を扱うコンビニやネット通販も登場し、宅配サービスをしているコンビニやスーパーも増えています。東京都心部なら生鮮食品や日用品の調達には困らず、買い物弱者問題は改善してきているような気もしますが……。  「そうした店舗によって、買い物弱者問題が解決したエリアも一部にはあります。しかし、都心部は地価が高いので、生鮮食品などを扱う小売店は採算面から出店しにくい環境にあります」(同)。 単身高齢者の急増、エレベーターのない団地、都心の生活スタイル……多様化する原因  さらに、東京では単身高齢者が急増していることも買い物弱者が増えている要因です。単身高齢者が買い物弱者であることは言うまでもありません。また、昭和30〜40年代に建設された団地には5階建てでもエレベーターが設置されていないところが多く、高層階の住民が高齢化することで買い物弱者になってしまうケースもあります。  買い物弱者になるのは、高齢者ばかりではありません。都心部では普段の移動は鉄道などの公共交通を使うライフスタイルが定着しているため、日常の買い物は徒歩圏内で済ませるのが一般的です。近所の商店が閉店してしまえば、食料品・日用品を生活圏で購入できなくなります。  自動車を保有していなければ、健康的な若者でも買い物弱者に転落してしまいます。つまり、買い物弱者は、必ずしも地方都市だけの問題、高齢者の問題ではないのです。 地域の実態に合わせた対策必要  「買い物弱者が発生する要因は、千差万別です。そのため、その地域の実態に合わせた対策を探らなければなりません」(同)。  経産省では、買い物弱者対策のために自治体や民間事業者と協力してコミュニティバスを運行して買い物を支援することや移動販売車に地域を巡回してもらうなどの施策を講じています。バスを運行する場合はルートや曜日・時間の調整、移動販売車だと、どういった商店がなく何を販売するのがいいのか、といったことなど、地元の自治体や町内会などと協議・調整する項目も多岐にわたります。  「NPOや町内会に協力を仰ぎ、買い物の付き添いや代行サービスをおこなっている自治体もあります。そのほか、自治体が出資する第3セクターや公社が、生鮮食品や日用品を扱う店を出店することもあります。買い物難民対策は、地域の実情によって支援の内容が異なります。簡単には解決しない問題です」(同)。  買い物弱者対策が複雑に絡み合っていることは、経産省のほかにも、所管する官庁が内閣府・総務省・国土交通省・農林水産省・厚生労働省の1府5省にまたがっていることからもうかがえます。行政ばかりではなく、民間事業者・NPO・町内会など、買い物弱者対策は官民一体で取り組む必要に迫られています。  小川裕夫=フリーランスライター
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田岡さんのコメント

 4月6日、7日のフロリダ・パームビーチでの米中首脳会談翌日の8日、米太平洋艦隊は原子力空母「カールヴィンソン」(9万3000t、約60機搭載)を北西太平洋に派遣すると発表した。同艦は3月からの米韓合同演習「フォール・イーグル」に参加後シンガポールに寄港、オーストラリアを親善訪問する予定だったが、俄かに朝鮮半島周辺海域に向かった。  米中首脳会談では双方とも「北朝鮮の核・ミサイル開発が深刻な段階に達した」との認識を示し、「国連安保理の制裁決議の完全な履行」で一致したが、具体的な方策は決まらなかった。トランプ大統領は「米国が独自の行動を取る可能性」を示唆し、その姿勢の表明として空母を派遣した、と見られる。  だが、米国にとっても北朝鮮に対する攻撃は第2次朝鮮戦争に発展する公算が大で、米軍、韓国軍に多大の人的損害が出るのみならず、韓国と北朝鮮に致命的な災禍をもたらすから、空母派遣も北朝鮮と中国に向けた一種の政治的ジェスチャーに過ぎないだろう。ただし、威嚇が効果をあげない場合、トランプ大統領は振り上げた拳を振り下げざるをえない立場になる危険はある。  全面的攻撃ではなく、北朝鮮の首脳部や指揮中枢に対する特殊部隊の急襲が検討されている、と報じられるが、要人の所在もリアルタイムで知ることは極めて困難、これも全面戦争の口火となる公算が高く現実性は乏しい。 ● 過去にも核施設攻撃を検討 米韓の被害も大きく諦める  米国は1994年にも北朝鮮の核施設に対する 「外科手術的攻撃」(surgical strikes)を検討した。1990年にソ連は北朝鮮を見捨てて韓国と国交を樹立、92年に中国もこれに続いたため、孤立した北朝鮮は核開発を始め、93年にはNPT(核不拡散条約)脱退を宣言した。  のち脱退は留保したが、査察には非協力的で、核兵器製造を目指している疑いが濃厚となった。このため93年1月に発足したクリントン政権では寧辺(ヨンビョン)の原子炉や使用済み燃料棒からプルトニウムを抽出する再処理施設を航空攻撃で破壊すべきだ、との声が高まり、米軍はその命令が出た場合に備えて、計画、準備を始めた。  だが在韓米軍司令部では、「核施設を攻撃すれば北朝鮮は朝鮮戦争の停戦協定は破棄されたとして、戦争再開となる公算大」との見方が強かった。ソウル北方約40kmの停戦ライン(南北境界線)のすぐ北には、朝鮮半島を横断する全長約230km、奥行き約30kmの地下陣地が朝鮮戦争中、中国軍によって築かれ、米軍の猛攻撃に耐えた。  北朝鮮軍はそこにトラックに乗せた22連装の240mmロケット砲(射程60km)や、170mm長距離砲(同40km)など、砲2500門を配備していると見られた。戦争が再発すれば、韓国の人口の3分の1以上が集中するソウル首都圏が「火の海になる」との北朝鮮の呼号はあながち虚勢でもなかった。  核施設を攻撃するなら、その以前か同時にこの大要塞地帯を制圧する必要があり、大規模な地上戦となる。在韓米軍による損害見積もりは、「最初の90日間の死傷者は米軍5万2000、韓国軍49万、民間人の死者100万以上」と出た。  この報告は航空攻撃だけを考えていたワシントンの政治家、高官らに冷水を浴びせた。クリントン政権は攻撃を諦め、カーター元大統領に訪朝し金日成主席と会談するよう要請した。この会談で北朝鮮は核兵器開発を凍結し、見返りに米国は軍用の高純度プルトニウムが抽出しにくい軽水炉を供与する、などの合意が成立、戦争の危機は回避された。 ● 弾道ミサイルの監視は不可能 日本にも大量の避難民  今日、「外科手術的攻撃」はその当時よりはるかに困難でリスクが大きい。原子炉や再処理施設は大型で空から丸見えだから航空攻撃で破壊するのは容易だったが、核弾頭はどこへでも隠せる。「核の弾薬庫はこのあたりにあるらしい」との情報もあるが詳細な位置は分からないし、本当かどうかも怪しいうえ、移動するのも簡単だ。  相手の反撃能力も弾道ミサイルになって格段に高まった。これを先制攻撃で破壊しようとしても、移動式発射機に載せて山間部のトンネルに隠し、出て来るとミサイルを立てて発射するからどこにあるか分からない。偵察衛星は地球を南北方向に1周約90分で周回し、地球は東西方向に自転するから、世界各地上空を1日約1回通るが、時速約2万8000kmだから北朝鮮上空は1分程で通過する。宇宙センターや飛行場、造船所など固定目標は撮影できるが、移動目標の監視は不可能だ。  静止衛星は赤道上空を高度約3万6000kmで周回するから、地球の自転の速度と釣り合って止まっているように見える。電波の中継には便利だが、地球の直径の約2.8倍も離れた距離にあるからミサイルは見えず、その発射の際に出る赤外線(熱)を感知できるだけだ。  最大高度が2万mに近いジェットエンジン付きグライダーのような無人偵察機「グローバル・ホーク」を多数投入し、交代で北朝鮮上空を旋回させておけば、発射機が出て来てミサイルを直立させる光景を撮影することは可能だが、平時にそれをやれば領空侵犯だし、低速だから北朝鮮の旧式ソ連製対空ミサイル「SA2」(射高2万5000m)でも容易に撃墜される。公海上空だけを飛ばせるのでは、多くが北部山岳地帯にあるとされる弾道ミサイルは発見できない。  また先制攻撃で仮に一部の弾道ミサイルを破壊できたとしても、相手はすぐさま残ったミサイルを発射して来るから、ほぼ同時に全てのミサイルを破壊しないと危険で、それは至難の業だ。1994年に核施設攻撃を検討した際と同様、ソウルなどを狙う前線のロケット砲、長距離砲を処理するためには、地上戦で敵の陣地を潰して行くことも必要となるだろう。  もし戦争になれば北朝鮮には最終的な勝ち目はないから、「死なばもろとも」の自暴自棄の心境となり、韓国の都市や米軍、韓国軍の基地だけでなく、横須賀、佐世保の両港や嘉手納、三沢、横田、岩国などの米軍飛行場に核ミサイルを発射する可能性は十分あるし、東京などを狙うかもしれない。  仮に幸い日本が直接攻撃を免れたとしても、韓国から途方もない数の避難民が押し寄せることになろう。韓国への融資、投資は回収不能となり、その復興に巨額の寄与を迫られることになるだろう。日本では「米軍が北朝鮮を叩きつける」と期待し、それを快とする言動もあるが、戦争を現実的に考えない平和ボケのタカ派の発想だ。 ● 韓国は精鋭特殊部隊編成 要人の動向を把握するのは困難  第2次朝鮮戦争にならずに問題を解決する手法として、米国、韓国では特殊部隊の潜入で北朝鮮首脳部を処理して体制変革を図る、とか指揮、通信機能を麻痺させてミサイル発射を防ぐ、という策も論じられる。3月からの米韓合同演習「フォール・イーグル」にはオサマ・ビン・ラディンを殺した米海軍の「ネービー・シールズ」や陸軍の「デルタ・フォース」も参加し、その演習がテレビで放映された。韓国軍も「斬首作戦」のために1000名の精鋭特殊部隊を今年中に編成する計画という。  だが要人の所在をリアルタイムでつかむことは極めて困難だ。O・B・ラディンの殺害は米、英軍が2001年10月にアフガニスタンを攻撃してから10年後だった。米、英軍は2003年3月にイラクを占拠したが、サダム・フセインの拘束は9ヵ月後の12月だった。  地下30m、コンクリートなら6mを貫通する電柱状の爆弾、「バンカーバスター」などで地下の司令部や通信中枢を破壊しようとしても、相手は他の地下壕に移っている可能性があるし、一時的に通信が途絶しても復旧すればミサイルを発射するだろう。  特殊部隊による暗殺や破壊活動は、もし本当にやる気なら、極秘で計画、準備するものだ。そうでなければ相手は警戒して隠れ家を転々としたり、影武者を用意したりするなど、対抗策を取るからだ。「斬首作戦」を公言したり、演習を公開したりするのは、それを実行する気がないことを示している。あまりにも単純な威嚇だろう。 ● 失敗した「生かさず殺さず」 米中ともに妙策なし  トランプ大統領の大胆な「独自の行動」としては金正恩委員長との直接対話も考えられる。だが会談でトランプ大統領が最大限の譲歩を示し「米国は北朝鮮と国交を樹立し、その安全を保障する。経済援助もするから核を廃棄しろ」と説いても、相手はいまや存立の唯一の頼りである核を捨てそうにはない。せいぜいが、「米国に届くICBMの開発は凍結する」と言う程度だろう。それでは日本や韓国は「我々はどうしてくれる」と反発する。米国内でも「無法者に褒美を出すのか」と非難が高まるだろう。  中国が1992年に韓国と国交を樹立して以来、北朝鮮に対し続けてきた「生かさず殺さず」政策は、北朝鮮が自暴自棄になって暴発することを防ぐ効果があり、穏当な策ではあったが、所詮は問題の先送りだ。その間に北朝鮮は核・ミサイル開発に成功したのだから、これも失敗と言う外ない。この難題を解く妙策はトランプ大統領、習金平国家主席だけでなく、誰にもないのでは、と暗然たる思いを抱かざるを得ない。  (軍事ジャーナリスト 田岡俊次)
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清和会と経世会

★代表的な日本の政治家の死を一覧で眺めると、 『清和会に対立した経世会の末路』   (田中派)田中角栄 逮捕 ロッキード事件 (←東京地検特捜部) (経世会)竹下登  失脚 リクルート事件 (←東京地検特捜部) (経世会)金丸信  失脚逮捕 佐川急便献金・脱税 (←東京地検特捜部&国税)  (経世会)中村喜四郎 逮捕   ゼネコン汚職 (←東京地検特捜部) (経世会)小渕恵三 (急死)(←ミステリー) (経世会)鈴木宗男 逮捕 斡旋収賄 (←東京地検特捜部) (経世会)橋本龍太郎 議員辞職 日歯連贈賄事件 (←東京地検特捜部) (経世会)小沢一郎  西松不正献金事件 (←東京地検特捜部) (経世会)二階俊博  西松不正献金事件 (←東京地検特捜部)   (清和会)岸信介    安泰 (清和会)福田赳夫   安泰 (清和会)安倍晋太郎  安泰 (清和会)森 喜朗    安泰 (清和会)三塚 博   安泰 (清和会)塩川正十郎  安泰 (清和会)小泉純一郎  安泰 (清和会)尾身幸次   安泰 対米従属派である清和会の政治家と違い、国益を重視して米国と一線を画して近隣アジア諸国などと独自の繋がりを模索しようとした経世会の政治家は、悉く失脚もしくは殺害の末路を迎えている。 中川昭一の父親である中川一郎氏も、日本の近隣大国であるロシアからの、「米国石油メジャーとは別口ルートでの」原油輸入を画策し、入浴中、絞殺された。
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森友問題

ShareTweetPinMail 庶民の味方というイメージ  童顔で、時折かわいらしい笑顔を見せる。夫と仲良さそうに手をつなぎ、どこへでも出かける。突拍子もないことをすることもあるけれど、なんとなく憎めない。  「いろんな人とお話ししたい」といって居酒屋を開く。反原発の飯田哲也さんに教えを請う。沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設反対運動の現場を、ミュージシャンの三宅洋平さんに頼んで案内してもらう…。  選挙区の地元にいて、夫の不在中は後援者たちの間を回って支持をお願いし、地域の祭りや催しにもこまめに顔を出す。決して出しゃばらず、夫を陰で支え続ける。そんな旧来の保守政治家の妻というイメージからはほど遠い、明るくて活発で、自分なりの意見をしっかりと持ち、なんにでも興味を持つ、溌溂とした新しいタイプの政治家の妻という印象。それが安倍昭恵さんである。  この“庶民的”なイメージが、一般にかなり浸透していることは間違いない。それも、高止まりしていると言われる安倍内閣の支持率に、いい影響を与えているのだろう。最高権力者の夫にも、臆することなくずけずけとモノを言う“庶民の味方”というイメージ。  しかし、どうもそのイメージは疑わしい。  安倍昭恵さんは森永製菓社長の娘で、聖心女子専門学校卒のお嬢様。まあ、庶民の出、とはちょっとばかり育ちが違う。その後、立教大学大学院を経て、いま問題の「電通」に勤務したという。  お嬢様育ちの奔放さは持ち合わせているのかもしれない。前述したように、自民党の原発政策には疑問を持ったというし、沖縄問題にも関心を寄せたらしい。他にもTPPや消費増税などについても、夫の晋三氏とは違う意見で議論を交わしたこともあるという。  それらのことをもって、自ら「家庭内野党」と称し、言いたいことを言い合える良き夫婦像を演じてきた。だが、実像がほんとうにそうだったのか。どうもそこがウサン臭いのだ。 化けの皮が剥がれた…?  化けの皮が?がれたのではないかと思う。例の「瑞穂の國記念小學院」(旧字体を使うところに意味があるらしい)の件がそれを示している。  昭恵さんは、この学校の「名誉校長」に就任している。そのホームページには「ごあいさつ」として、昭恵さんの次のような言葉が掲載されている。  籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。  瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。  そこで備わった「やる気」や「達成感」、「プライド」や「勇気」が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。  籠池先生とは、学校を経営する「森友学園」の籠池泰典理事長のことで、昭恵さんの文章は、この学校の教育理念への、まさに手放しの礼賛である。では、その教育理念とはどんなものか。それこそが、いま問題化している右翼教育なのだ。  例えば、この森友学園が経営する「塚本幼稚園」では、園児に軍歌を歌わせ、教育勅語を暗唱させている。その映像は、ツイッター等でたくさん流出しているので、誰にでも確認することができるが、まるで軍国教育である。  さらに、この幼稚園が保護者あてに配布した文書が「ヘイトそのもの」だとして問題になっている。なにしろ、文書の中に「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」といった表記が出てくるのだから驚く。  「ヘイトスピーチ規制法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)」が昨年の国会で成立している。その法律の趣旨は、要約すれば次のようなものだ。  「ヘイトスピーチ規制法」とは、日本以外の国や地域の出身者への不当な差別的言動を解消するための基本理念を定めた法律。日本以外の国や地域の出身者とは、以下のふたつに該当するもの。  ◎日本国外にある国、もしくは地域の出身者、またはその子孫  ◎日本の国に適法に居住しているもの  これらの定義に当てはまる人に対しての「差別的言動」とは、  差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加える旨を告知するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身者であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動すること。  などと定義されている。  この法律の趣旨に照らせば、なんら証拠もなく「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」などと言及して「本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動」する文章は、典型的なヘイトスピーチというしかない。それを公に配布するのだから、この学園の教育方針そのものに疑問符が付くのは当然だろう。さすがにこの文書は大阪府の私学課も問題視し、塚本幼稚園側に事情を訊いているという。  その学園の理事長が籠池氏なのだが、前掲のように、安倍昭恵さんはその籠池氏の「教育に対する熱き思いに感銘を受け」たと、はっきりと書いているのだ。つまり、ヘイトスピーチまがいの文書を配布した学園の教育理念に、昭恵さんはもろ手を挙げて賛同しているわけだ。  それは、昭恵さん自身が「ヘイトスピーチに加担」したことと同じではないか。  昭恵さんは「家庭内野党」を標榜する。だが、それは世を欺く仮の姿、本音としては、晋三氏にベッタリの極右思想の持主でしかないのだろう。  なんのかんのと少しは抵抗するそぶりを見せながら、結局最後には、安倍自民党の言いなりになってしまう公明党の役割と同じではないか。「家庭内野党」ではなく「家庭内公明党」と名を変えたほうがいいと思う。 公教育の否定…  さらに昭恵さんには、驚くべき発言がある。  テレビ東京「ゆうがたサテライト」(2月17日)が報じたのだが、昭恵さんはこの学校の保護者会において、名誉校長就任の挨拶として、次のように話している。  普通の公立学校の教育を受けると、せっかくここで芯ができたものが(公立)学校へ入ったとたんに揺らいでしまう。日本の国を誇りに思えるような子どもたちがたくさん育ってほしい…。  現首相の夫人が、ほとんど公教育を否定するかのような発言をしているのだ。一般の公立小学校へ入学すれば、せっかくの塚本幼稚園での“教育”が揺らいでしまう、という。よく考えると、これはそうとうに恐ろしい(というより、危険な)発言だと思う。  この小学校は当初「安倍晋三記念小学校」と命名する予定だったという。そんな学校に、まるで現在の日本の公教育を否定するような“名誉校長”が誕生したのだ。夫・晋三氏の名を冠する予定だった小学校の名誉校長に、その妻が就任する。そして妻は、ヘイトスピーチ的な言動をする理事長の教育理念とやらを最大限の言葉で褒めたたえる。  不穏を通り越して、危険だ。 結局は、同じ穴のムジナ夫婦  この小学校の土地払い下げに関しては、すでに多くの疑惑が吹き出ている。これからどんどん疑惑の芽は膨らむに違いない。さすがにマスメディアも、恐る恐るではあるが、動き出している。なにしろ、時価9億円相当の土地に、現在まで森友学園が支払った額はたった200万円だというのだから、どう考えたって怪しい。  安倍首相は「払い下げに関して、もし私や妻や事務所が関わっていたことが分かったら、私はすぐに総理も議員も辞職する」と、国会審議の場で大見得を切った。もしかしたら、言ってしまってから「まずいことを言ったな」と後悔しているかもしれないな、これは。  この学校の設立資金を集めるのに「安倍晋三記念小学校」という名の「振込用紙」が使われていたことが判明している。関係ないはずがない。それでも首相は「私はこれまで知らなかった」とシラを切る。さらに「その振込用紙が本物かどうか、調べようがないじゃありませんか」とまで言いつのる。  なんで調べようがないのか。調べる気になったら、籠池氏に1本電話すれば分かることじゃないのか。分かってしまったらヤバイことでもあるのかと、疑わざるを得ない。  その上、この学校の設置許可にも疑念が持たれている。  日本国の最高権力者の妻が名誉校長を務めるのだ。設置申請を受けた文科省や大阪府が、何らかの手心を加えたとしてもおかしくはない。いや、手心を加えないほうがおかしいというべきか。  マスメディアも、安倍昭恵さんを持ち上げるのは、もう止めたほうがいい。  この夫婦、結局は同じ穴のムジナだったということがバレてしまったのだから。
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緩和ケア…ひとりではない!

 <プロフィル 奥野 滋子( おくの・しげこ )  1960年、富山県生まれ。緩和ケア医。特定医療法人社団若林会湘南中央病院在宅診療部長。順天堂大学医学部客員准教授。麻酔・ペインクリニック医から緩和ケア医に転向。ホスピス、緩和ケア病棟、大学病院緩和ケアチームで全人的医療を実践し、約2500人の看取りを経験。患者からの「死んだらどうなるの」という問いをきっかけに宗教学、死生学を学ぶ必要性を感じ、東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科修士課程を修了。「ひとりで死ぬのだって大丈夫」(朝日新聞出版)、「お迎えされて人は逝く」(ポプラ社)など著書多数。 br />

どんな人間にも必ず訪れる死。最近は、子や孫や親戚一同に囲まれた「絵に描いたような大往生」が減り、「孤独死」が増える傾向にある。見守っていた家族をひとりきりで死なせてしまい、後悔する人も少なくない。終末期のがん患者に寄り添う緩和ケア医として、これまで2500人以上を 看取 みと ってきた奥野滋子さんは、「ひとりで死ぬことが寂しいとは限らない。人生に満足し安心して旅立つ方も多い」と、人の最期に関する一つの考え方を提示する。



衰弱が進行し、入院していた。腹水で腹部は膨らみ、顔はやつれ、手足がやせ細っていて、自力では動くこともままならない。夫とは死別しており、子供がいないため独居である。母親は彼女が学生だった時に病死している。  ある朝の回診での出来事である。  「先生、昨日の夜、お母さんが会いに来てくれたんです」  「お母さんはそこの椅子(ベッド脇のソファ)に座って、窓の方を見ていて、全然私の方を見てくれないの。寂しかった。もっと近くに来てって言ったけど聞こえないみたいで」  「手を伸ばせば届くような気がするのに、手を差し伸べてくれない。私、お母さんに何か悪いことしたかな」  翌日の回診でも彼女は暗い顔をしながら、「お母さんはまだ私の方を見てくれない」「背中を向けたままずっとそこにいる」と話し、「早くこっちを向いてほしい」と訴えた。  翌々日の朝、彼女は非常にすがすがしい顔をして私たちを待っていた。  「先生、お母さんがやっと私の方を見てくれたの。とてもうれしい。お母さんが私の手をつかんでしっかり握ってくれたの。私、これできっとお母さんのもとに行けるのね。うれしい。先生、みなさん、いろいろお世話になりました。ありがとうございました。私は大丈夫です」  その日の午後、突然血圧が低下して意識がなくなり、夜に亡くなった。 人間はつねに死に向かって歩んでいる  私は16年間、緩和ケア医として、病院や在宅診療で訪れた患者の自宅などで多くの方々の死に触れてきた。今回は、その経験から思うことをお伝えしたい。死への怖れ、永遠の命への希求、親しい人との死別がもたらす悲嘆は、場所や時代を問わず、人間にとって共通の重要な問題である。日本は今や超高齢社会に突入し、医療の進歩により容易に死ねない時代となった。どこで生きてどこで死ぬのかを、個々人が具体的に真剣に考え、決定せざるを得ない状況にある。  高齢者だから死が近いということでは、もちろんない。実は、人生のどの段階も生と死は表裏一体であり、人間はつねに死に向かって歩んでいるといっても過言ではない。健康な人であっても、事故や事件など不慮の事態によって命を奪われることもあるのだから、まだ若いからと言って人ごとでは済まされないのである。



 現代は核家族化が進み、未婚や死別による独居家庭も増えている。たくさんの人が最期の迎え方として希望されるのが、テレビドラマのように家族親戚、友人たちに手を握られ、互いに感謝の言葉を伝え、コクッと静かに頭を垂れて旅立つという形だが、現在ではこれは非常に難しい。  独居の方なら、もともとひとりで死ぬという覚悟がある方も少なくないだろう。しかし、たとえ家族が一緒にいてくれる場合でも、24時間体制で付き添ってくれていた妻がトイレに行っている間に夫が息を引き取ることもあるし、隣で寝ていた夫が朝になったら冷たくなっていたということも、元気にしていた赤ちゃんが突然静かになって気が付いたら死んでいたということもある。誰かと一緒に死ぬということは不可能であり、最期は一人で旅立つことになると考えておいた方がよさそうである。  同時に、愛する人の最期に必ず立ち会えるという保証は誰にもできない。したがって、「たった一人で死なせてしまった」と後悔したり、親戚などから責められたりする必要はないのである。  ただ、全く誰とも縁がないとか、自分が生きた証しを残すこともできない「天涯孤独の最期」は、生きているうちの努力である程度回避できる。つまり、誰かと関わり、縁をつなぐ生き方をすること。もちろん単に出会いの数を増やすということではなく、たとえ1人でも2人でも、相手のことを深く考え大切にする気持ちを持って関われば、その人の心の内に自分の存在が記憶されていく。  そうした努力をしようと思ってもなかなか人と交わることが難しいと言う人はやはり、寂しいのかと言うと、そうでもないようだ。私がこれまで看取りをさせていただいたケースから見ると、「亡くなった方との再会」「お迎え」「先祖の存在」によって、安心して旅立つ人が少なくないからである。  もちろん実際に「お迎え」があるかどうかは私にはわからない。しかし「お迎え現象」というご本人が「見た」「聞いた」と感じられたお話はしばしば耳にしている。「お迎え現象」の中には、せん妄などの意識障害や認知力の低下などが影響している場合もあるかもしれないことはあらかじめお伝えしておく。 「共に」 (写真はイメージです) (写真はイメージです)  70歳、男性。大腸がん  独身。すでに治療は終了し、終末期と考えられた。腹水が大量にたまり腹痛、腹部膨満感、全身倦怠けんたい感があり、ほぼ一日中ベッドで横になっていた。以前は自分の意思表示も明確で医療者にも協力的であったが、亡くなる1か月ほど前から体調が悪いのか言葉を発しなくなった。こちらからの問いにはうなずくか、首を振ることでコミュニケーションはかろうじてとれるが、細かな体調や心の問題を把握できるほどではなかった。主治医や病棟スタッフはうつではないかと考え、抗うつ薬の投与が検討されていた。  ある日、私が彼の病室を訪れた時、机の上に「南無真如一如大般涅槃経」と書かれたメモ帳が置かれているのに気づいた。そこで「信仰をお持ちですか」と問うと、うなずかれた。「今、あなたの仏様はどこにおられますか」と問うと、「共に」と一言だけ答えられた。「心配なことはありますか」と問うと、首を横に振って返事をされた。  数日後、息を引き取った。





 50歳、女性。卵巣がん。  抗がん治療を続けてきたが効果なく、食欲不振、嘔おう気・嘔吐、腹痛、全身倦怠感、腹水などの症状が出て、下肢のリンパ浮腫が増悪し、自宅での生活がままならなくなり入院となった。  独身で、有名ブランド店の店長を任され、仕事一途いちずの生活を送っていたという。生きがいにしていた仕事を他人に預け、着替えや排せつなども看護師に任せなければならず、介助なしに生活を営むことが困難な状況になって、「こんな状態が長く続くのなら死んだ方がまし」「人に迷惑をかけてまで生きるのはいや」と言うようになった。  キーパーソンの姉に話を聞いたところ、父親は認知症のため施設に入所中で、面会に行った娘のこともわからない状況ということだった。母親は乳がんが脳に転移し別の病棟に入院中で、病状は厳しいとのことであった。  ある日、「母親が面会に来た」と言う。しかし、周辺でそのような人物を目撃した人はいなかった。数日後のある日の夕方、「母と温泉に行く話をしていた。今帰ったばかり」と話した。その頃から一人部屋にいて誰かに語りかけている姿が時々見られた。「お母さんを送っていく」と言ってベッドから立ち上がろうとして転倒したこともあった。  まもなくして、別病棟にいた母親が息を引き取ったと、連絡が入った。その後、約1週間で本人も永眠した。  姉は「母と妹は仲が良かったので、一緒に温泉に出かけたのかしら」と語った。 予想外の展開に後悔した娘さんに (写真はイメージです) (写真はイメージです)  72歳、男性。膵臓すいぞうがん終末期。  妻とは数年前に死別し、独居であった。主治医に積極的ながん治療はないと言われて、自宅で過ごしたいと退院してきた。週3回程度、片道約1時間をかけて長女が訪ねて来ていたが、彼女は仕事を持っており長居をすることはできず、父親に頼まれた用事を済ませるくらいの時間しかなかった。普段の彼の生活はヘルパー、訪問看護師、訪問診療スタッフ、薬剤師がサポートしていた。  ある日の夕方、トイレで真っ黒の便が大量に出た後、その場に倒れ込んでしまった。いつもと違う様子に、たまたま居合わせた娘は救急車を呼んで病院に担ぎ込んだが、その数時間後に静かに息を引き取った。父親は徐々に衰えて死んでいくのだろうと思っていた娘は、予想外の急激な展開に「もっと一緒にいてあげればよかった」とずっと後悔していたという。  「父の死が受け入れられない」と知り合いの僧侶に相談したところ、「お父さんは先祖の列に入られたのですよ。いなくなってしまったわけではなくて、これからはずっと他のご先祖さんたちと一緒にあなた方を守ってくれるのですよ」と言われ、安堵あんどしたという。 死から目を逸らさず今日一日を精いっぱい生きる  ここに挙げた方々にとって、「お迎え」に訪れる死者たちは必ずしも恐怖の対象ではなかった。出現のしかたや会話も自然で、恐怖や不安も感じていないように見える場合には、その人のもとに一緒に行きたいという希求と一種の安堵感のようなものが本人には生まれているのかもしれない。もしそうであるならば、「お迎え現象」は死の恐怖を乗り越える助けになり得るのかもしれない。  生理的な生には限りがあり、死は必至で不死の願いは叶かなえられない。死が避けられないとすると、生の意味を拡大解釈して死の苦悩を和らげようとする考えが出てくる。つまり死後生を願い、先祖となって家族、イエを守っていく存在となることも生の意味の拡大解釈の一つの形ではないだろうか。死の時でも先祖は見守ってくれているので、ひとりぼっちの寂しい最期はないと信じることもできるのかもしれない。  ありきたりの話になるかもしれないが、私たちはいつ最期を迎えるかはわからない。その時が迫ってから「孤独のうちに死にたくない」、「誰かに看取ってほしい」とジタバタする前に、死から目を逸そらさず、今のうちから時間を共有できる相手を見つけて共に今日一日を精いっぱい生きる方が、この人生に満足し安心して旅立てるような気がする。
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仏…フラマンビルの原発は…?

 【パリ時事】フランスメディアによると、9日午前10時(日本時間同午後6時)ごろ、仏北西部フラマンビルの原子力発電所で爆発があった。地元当局は、発生場所について「原子力施設の外部だ」とした上で、放射能被害の恐れはないと説明した。技術的な要因による事故で、テロの可能性はないとみられる。 〔写真特集〕福島原発〜水素爆発で大破した3号機原子炉建屋〜  現場にいた5人が煙を吸い込み、軽い中毒症状が表れているが、ほかに負傷者は出ていない。火災は約1時間後に沈静化した。同原発では爆発を受けて、一部原子炉の運用を停止した。  フラマンビルの原発は1985年に稼働が始まり、現在は新型の欧州加圧水型炉(EPR)の建設が進んでいる。原発から北約20キロには、日本などからの使用済み核燃料を扱う核燃料再処理工場がある。
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安倍トランプ会談

 しかし、「新潮45」の時任ルポは外務省筋の証言として、こうした見方をすべて「実際は違います」「真っ赤なウソ」と否定、実際は統一教会に近い安倍首相の側近議員が動いたと指摘しているのだ。 〈この側近は、これまで霊感商法や家族分断、合同結婚式など多数の被害を生み出してきたカルト集団・統一教会(現・世界平和統一家庭連合)およびその政治組織である国際勝共連合と選挙応援などを通じてかねて近しく、彼らがトランプ氏とホットラインを持っていることを知っていたのである〉  記事によると、側近議員から提案を受けた安倍首相は自ら統一教会系政治団体・国際勝共連合の重鎮であるYに直接、コンタクトを取ったのだという。Yは統一教会に協力的な「勝共推進議員」養成、自民党への秘書派遣や選挙協力など、同団体の政界への影響力行使の中心を担っていた人物。そして、安倍首相の意を受けてYは、統一教会開祖の文鮮明(故人)の妻で、現在の統一教会実質トップの韓鶴子に電話を入れたというのだ。記事では公安関係者が、韓のその後のトランプ陣営への働きかけをこう証言している。 「Yは彼女(韓鶴子)経由で、トランプ氏の信頼が厚く人事やスケジュール管理を行っている長女イバンカの夫、すなわち女婿であるクシュナーにつなげ、まずは即電話会談、それから安倍首相の外遊日程に合わせての直接会談??すなわち11月19 日からペルーで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会談前の17日に会えるよう運んだのです。韓と女婿が、それぞれ経営する新聞社や不動産会社などの関係からつながりがあったことから実現した話です」  たしかに、安倍首相と統一教会は切ってもきれない親密な関係だ。安倍首相の祖父・岸信介が国際勝共連合設立に関与していたことは有名な話だし、安倍首相自身も官房長官時代の06年、統一教会系の「天宙平和連合」の合同結婚を兼ねた集会に祝電を送るなど、統一教会への関与がしばしば取りざたされてきた。  また、安倍政権が発足して以降、統一教会と自民党との協力関係も非常に活発になっている。同記事にもあったが、13年の参院選では、安倍首相が強く推していた同郷の北村経夫参院議員を当選させるために統一教会が露骨な選挙支援をしているし、14年には、日本統一教会の徳野英治会長の特別講演で、安倍首相の側近である萩生田光一官房副長官が来賓のあいさつをしている。他にも、衛藤晟一首相補佐官や稲田朋美防衛大臣など安倍首相の側近議員の多くが統一教会系のイベントで講演を行っている。  さらに、15年の安保法制強行採決の際には、安保法制に反対するSEALDsに対抗するかたちで、安倍政権支持の活動を行うUNITEなる学生団体が出現したが、実はこの団体の正式名称は「国際勝共連合 大学生遊説隊 UNITE」。つまりその正体は「国際勝共連合」だったことも明らかになっている。


 しかし、だからといって、日米のトップ会談をカルト宗教団体に依頼するなんてことがありうるのだろうか。永田町ではこの「新潮45」の記事について「ガセ説」がとびかい、この記事を書いた時任のことを「ペンネームでトバシ記事を書きまくっている記者だ」と揶揄する情報も流れている。  だが、これは明らかに官邸によるカウンターだろう。「時任兼作」がペンネームで、その記事に毀誉褒貶があるのは事実だが、一方で時任はこれまで「週刊ポスト」「週刊現代」「週刊朝日」を舞台に、政治家や官僚、企業の不正を暴き、数々のスクープを生み出してもいる。とくに、統一教会については全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士らとタッグを組み、かなり核心に迫った記事を書いてきた。実は、前述した安倍の集団結婚式への祝辞も時任が「週刊朝日」(06年)で手がけたスクープだった。 「時任は統一教会、それと公安にはすごく強い。『新潮45』の記事は、公安関係者からの情報リークのようだから、信憑性はかなりあるんじゃないか」(週刊誌関係者)  実際、時任が指摘した韓鶴子?クシュナーのルート以外にも、トランプと統一教会の接点はある。宗教団体やスピリチュアルをめぐる社会的問題をリポートするウェブサイト「やや日刊カルト新聞」が、トランプの次男であるエリック・トランプが、統一教会の文鮮明教祖の四男・国進が経営する銃器製造販売会社KAHR Arms社の小型機関銃販売店舗オープニングイベントで演説を行っていたこと、トランプ当選にその国進と七男の亨進が大喜びしているところを写真付きで報じているのだ。  また、「新潮45」の記事では、この四男・国進と安倍首相が直接、会談したことを証言する七男のインタビューが存在していることを、全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士が明かしている。  こうしたさまざまな接点、状況を考え合わせると、安倍首相が統一教会に頼んでトランプ会談をセッティングしてもらっていたとしても不思議はない。そして、もしそうだとしたら、我々は近い将来、とんでもないツケを払わされることになるだろう。  国際勝共連合の機関誌「世界思想」2月号で、太田洪量・国際勝共連合会長がトランプ大統領誕生について書いているのだが、太田会長はこの中で「中国の覇権的攻勢を食い止めなければならない」と宣言したうえ、こう締めている。 〈安倍総理とトランプ大統領の世界平和に向かうタッグに大いに期待したい〉  そして、トランプは20 日に発表した基本政策で、「力による平和」を打ち出した。統一教会がつないだ安倍=トランプのタッグによって、日本が新たな戦争に巻き込まれる可能性はかなり高いといわざるをえない。 (野尻民夫)
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トランプ就任演説

ドナルド・トランプ新米大統領の就任演説は、約16分にわたった。以下が全文とその和訳。 Chief Justice Roberts, President Carter, President Clinton, President Bush, President Obama, fellow Americans, and people of the world: Thank you. ロバーツ最高裁長官、カーター大統領、クリントン大統領、ブッシュ大統領、オバマ大統領、同胞のアメリカ国民の皆さん、世界の人々、ありがとうございます。 We, the citizens of America, are now joined in a great national effort to rebuild our country and to restore its promise for all of our people. 私たちアメリカ市民は今、この国を再建し、国民全員への約束を復活させるため、大いなる国家的事業に取り組むべく団結しています。 Together, we will determine the course of America, and the world, for many, many years to come. 私たちは一緒になって、今後何年も続くアメリカと世界の進路を、定めていきます。 We will face challenges. We will confront hardships. But we will get the job done. 課題に直面するでしょう。困難に直面するでしょう。しかし、私たちはやり遂げます。 Every four years, we gather on these steps to carry out the orderly and peaceful transfer of power, and we are grateful to President Obama and First Lady Michelle Obama for their gracious aid throughout this transition. They have been magnificent. 4年ごとに私たちはこの階段に集まり、秩序ある平和的な権限の移行を行います。この政権移行の間、寛大に支援してくれたオバマ大統領とファーストレディのミシェル・オバマ夫人に感謝しています。お2人は素晴らしかった。 Today's ceremony, however, has very special meaning. Because today we are not merely transferring power from one administration to another, or from one party to another - but we are transferring power from Washington, D.C. and giving it back to you, the people. けれども今日の式典には特別な意味があります。なぜなら私たちは今日、単にひとつの政権から次の政権に、あるいはひとつの政党から別の政党に、権力を移しているだけではないからです。私たちは権力をワシントンから、国民の皆さんにお返しするのです。 For too long, a small group in our nation's capital has reaped the rewards of government while the people have borne the cost. 今まであまりに長いこと、この国の首都の少数の人たちが政府の恩恵にあずかり、国民がその負担を担ってきました。 Washington flourished - but the people did not share in its wealth. ワシントンは栄えたが、国民はその富を共有しなかった。 Politicians prospered - but the jobs left, and the factories closed. 政治家たちは豊かになったが、仕事はなくなり、工場は閉鎖した。 The establishment protected itself, but not the citizens of our country. 国の主流派は自分たちを守ったが、この国の市民は守らなかった。 Their victories have not been your victories; their triumphs have not been your triumphs; and while they celebrated in our nation's capital, there was little to celebrate for struggling families all across our land. 彼らの勝利はあなたたちの勝利ではなかった。彼らの成功はあなたたちの成功ではなかった。彼らはこの国の首都で祝っていたものの、国中各地で苦しむ家族たちにとって祝うに値することはほとんどありませんでした。 That all changes - starting right here, and right now, because this moment is your moment: it belongs to you. それは一切変わります。まさに今、ここで。なぜならこの瞬間は皆さんの瞬間だからです。これはあなたたちのものです。 It belongs to everyone gathered here today and everyone watching all across America. 今日ここに集まった全員のもの、アメリカ全土で見守っているすべての人のものです。 This is your day. This is your celebration. 今日はあなたの日です。これはあなたのお祝いです。 And this, the United States of America, is your country. そしてこの、アメリカ合衆国は、あなたの国なのです。 What truly matters is not which party controls our government, but whether our government is controlled by the people. 本当に大事なのは、どちらの党が私たちの政府を仕切っているかではなく、私たちの政府を国民が仕切っているかどうかです。 January 20th, 2017, will be remembered as the day the people became the rulers of this nation again. 2017年1月20日は、国民が再びこの国の指導者となった日として記憶されるでしょう。 The forgotten men and women of our country will be forgotten no longer. この国の忘れられた人々は、もうこれ以上、忘れられることはありません。 Everyone is listening to you now. 誰もが皆さんに耳を傾けています。 You came by the tens of millions to become part of a historic movement the likes of which the world has never seen before. 何千万人もの皆さんは、世界が今まで見たこともない歴史的な運動の一部になるため、参加しました。 At the centre of this movement is a crucial conviction: that a nation exists to serve its citizens. この運動の中心には、不可欠な確信があります。国は市民に奉仕するために存在するのだという確信です。 Americans want great schools for their children, safe neighbourhoods for their families, and good jobs for themselves. アメリカ人は子供たちのために最高の学校が欲しい。家族のために安全な地域が欲しい。そして自分たちのために良い仕事が欲しい。 These are the just and reasonable demands of righteous people and a righteous public. 正義の人々、そして正義の社会にとって、これは正当で道理のある要求です。 But for too many of our citizens, a different reality exists: Mothers and children trapped in poverty in our inner cities; rusted-out factories scattered like tombstones across the landscape of our nation; an education system, flush with cash, but which leaves our young and beautiful students deprived of all knowledge; and the crime and the gangs and the drugs that have stolen too many lives and robbed our country of so much unrealised potential. しかしこの国の市民のあまりに多くが、これとは別の現実の中にいます。都市の中心部では母親と子供たちが、貧困に囚われている。この国のあちこちで、さびついた工場が墓石のように散らばっている。資金を大量につぎこまれた教育制度は、若く美しい生徒たちに何の知識も与えないままだ。そして犯罪とギャングと麻薬が、あまりにも多くの命を奪い、あまりにも多くの可能性を実現しないままこの国から奪い去った。 This American carnage stops right here and stops right now. このアメリカ内部の殺戮(さつりく)は、まさにここで、たった今、終わります。 We are one nation - and their pain is our pain. Their dreams are our dreams; and their success will be our success. We share one heart, one home, and one glorious destiny. 私たちはひとつの国です。苦しむ人々の痛みは、私たちの痛みです。彼らの夢は、私たちの夢です。その成功は、私たちの成功となるでしょう。私たちはひとつの心、ひとつの家、そしてひとつの栄光ある運命を共有しているのです。 The oath of office I take today is an oath of allegiance to all Americans. 私が今日行う就任の宣誓は、すべてのアメリカ人に対する忠誠の誓いです。 For many decades, we've enriched foreign industry at the expense of American industry; 何十年も前から私たちは、アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきました。 Subsidised the armies of other countries while allowing for the very sad depletion of our military; この国の軍隊が悲しくも消耗していくのを許しながら、外国の軍隊を援助してきました。 We've defended other nations' borders while refusing to defend our own; 自分たちの国境防衛を拒否しつつも、外国の国境を守ってきました。 And spent trillions and trillions of dollars overseas while America's infrastructure has fallen into disrepair and decay. そしてアメリカのインフラが荒廃し衰退する一方で、海外では何兆も何兆もの金を使ってきました。 We've made other countries rich while the wealth, strength, and confidence of our country has dissipated over the horizon. 我々は、この国の富と力と自信が地平線の向こうで衰退していく間に、よその国々を金持ちにしてきたのです。 One by one, the factories shuttered and left our shores, with not even a thought about the millions and millions of American workers that were left behind. 工場はひとつひとつ、次々と閉鎖し、この国を出て行きました。取り残された何百万人ものアメリカの労働者のことなど、何ひとつ考えないまま。 The wealth of our middle class has been ripped from their homes and then redistributed all across the world. この国の中産階級の富は無理やり奪い取られ、世界中に再配分されていきました。 But that is the past. And now we are looking only to the future. しかしそれは過去のことです。そして今の私たちは、ただひたすら未来だけを見つめています。 We assembled here today are issuing a new decree to be heard in every city, in every foreign capital, and in every hall of power. 今日ここに集まった私たちは、すべての都市、すべての外国の首都、そしてすべての権力の回廊に聞かせるため、新しい布告を発します。 From this day forward, a new vision will govern our land. 今日から今後は、新しいビジョンがこの国を統治します。 From this day forward, it's going to be only America First, America First. 今日から今後は、ただひたすら「アメリカ第一、アメリカ第一」です。 Every decision on trade, on taxes, on immigration, on foreign affairs, will be made to benefit American workers and American families. 貿易、税金、移民、外交に関するすべての決断は、アメリカの有権者とアメリカの家族の利益となるよう行われます。 We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs. Protection will lead to great prosperity and strength. 私たちは、私たちの製品を作り、私たちの企業から盗み、私たちの職を破壊する外国の侵害から、この国の国境を守らなくてはならない。保護によって、繁栄と力は拡大します。 I will fight for you with every breath in my body - and I will never, ever let you down. 私は自分の命すべてをかけて皆さんのために闘います。そして決して、絶対に、がっかりさせません。 America will start winning again, winning like never before. アメリカはまた勝ち始めます。かつてないほど勝ち始めます。 We will bring back our jobs. We will bring back our borders. We will bring back our wealth. And we will bring back our dreams. この国の仕事を回復させます。国境を回復します。富を回復させます。そして私たちの夢を復活させます。 We will build new roads, and highways, and bridges, and airports, and tunnels, and railways all across our wonderful nation. 私たちはこの素晴らしい国の全土で、新しい道路、高速道路、橋、空港、トンネル、鉄道を造ります。 We will get our people off of welfare and back to work - rebuilding our country with American hands and American labour. 国民がもう生活保護を必要としないように、仕事に戻れるようにします。この国をアメリカ人の手とアメリカ人の労働で再建します。 We will follow two simple rules: Buy American and hire American. 私たちは2つの素朴なルールに従います。アメリカのものを買い、アメリカ人を雇うのです。 We will seek friendship and goodwill with the nations of the world - but we do so with the understanding that it is the right of all nations to put their own interests first. 私たちは世界の国々との間に友情、そして友好を求めます。しかしその前提には、すべての国は自国の利益を優先する権利があるという認識があります。 We do not seek to impose our way of life on anyone, but rather to let it shine as an example - we will shine - for everyone to follow. 私たちは自分たちの生き方をほかの誰にも押し付けようとはしませんが、むしろお手本として輝くように、私たちは輝きますから、ほかの人たちが見習うべきお手本として輝くようにします。 We will reinforce old alliances and form new ones - and unite the civilised world against radical Islamic terrorism, which we will eradicate completely from the face of the Earth. 私たちは古い同盟関係を強化し、新しい同盟を結びます。そして、文明世界を一致団結させて、イスラム過激主義のテロと戦います。イスラム過激主義のテロは、この地上から完全に消し去ります。 At the bedrock of our politics will be a total allegiance to the United States of America, and through our loyalty to our country, we will rediscover our loyalty to each other. 私たちの政治の礎となるのは、アメリカ合衆国に対する完全な中世です。そして自分たちの国への忠誠心を通じて、私たちはお互いへの忠誠心を再発見するでしょう。 When you open your heart to patriotism, there is no room for prejudice. 自分の心を愛国心に向けて開けば、偏見が入り込む余地はありません。 The Bible tells us: "How good and pleasant it is when God's people live together in unity." 聖書はこう教えています。「神の人々がひとつになって暮らすのは、なんて善い、心地良いことでしょう」と。 We must speak our minds openly, debate our disagreements honestly, but always pursue solidarity. 私たちは思ったことを自由に発言し、意見が違えば議論しなくてはなりませんが、常に連帯を目指すべきです。 When America is united, America is totally unstoppable. アメリカが団結すれば、アメリカを食い止めることなど不可能です。 There should be no fear - we are protected, and we will always be protected. 恐れるべきではありません。私たちは守られているし、常に守られていくので。 We will be protected by the great men and women of our military and law enforcement and, most importantly, we will be protected by God. 私たちは軍隊と法の執行機関の偉大な人々に守られているし、何よりも神が私たちを守ってくれます。 Finally, we must think big and dream even bigger. 最後に、私たちは大きく考え、さらに大きく夢見なくてはなりません。 In America, we understand that a nation is only living as long as it is striving. アメリカの私たちは、国とは努力し続けなければ生き続けられないものだと理解しています。 We will no longer accept politicians who are all talk and no action - constantly complaining but never doing anything about it. 私たちは、口先だけで行動しない政治家をもうこれ以上受け入れません。文句を言うだけで何もしない政治家など。 The time for empty talk is over. 空虚なお話の時間はもう終わりです。 Now arrives the hour of action. 行動の時がやってきました。 Do not allow anyone to tell you that it cannot be done. No challenge can match the heart and fight and spirit of America. そんなことは無理だと誰かに言われても、決して信じてはいけません。アメリカの心とファイトとスピリットに勝る挑戦などありません。 We will not fail. Our country will thrive and prosper again. 私たちは失敗しません。私たちの国は再び、栄えて繁栄します。 We stand at the birth of a new millennium, ready to unlock the mysteries of space, to free the Earth from the miseries of disease, and to harness the energies, industries and technologies of tomorrow. 私たちは新しい千年紀の誕生と共にあります。宇宙の神秘の扉を開き、病の苦しみから地球を解き放ち、未来のエネルギーや産業や技術を活用しようという、その時に立っています。 A new national pride will stir our souls, lift our sights, and heal our divisions. 国民としての新しい誇りが私たちの魂でうごめき、展望を引き上げ、分断を癒してくれるでしょう。 It is time to remember that old wisdom our soldiers will never forget: that whether we are black or brown or white, we all bleed the same red blood of patriots, we all enjoy the same glorious freedoms, and we all salute the same great American Flag. この国の兵士たちが決して忘れない古い格言を思い出すべき時です。黒だろうが茶色だろうが白だろうが、私たちは全員が、赤い愛国者の血を流すのだと。全員が同じ素晴らしい自由を享受し、全員が同じ偉大なるアメリカ国旗に敬礼するのだと。 And whether a child is born in the urban sprawl of Detroit or the windswept plains of Nebraska, they look up at the same night sky, they fill their heart with the same dreams, and they are infused with the breath of life by the same almighty Creator. そして大都市デトロイトの裾野(すその)で生まれようが、風吹きすさぶネブラスカの平原で生まれようが、同じ夜空を見上げた子供は、同じ夢で心を満たし、同じ偉大なる創造主によって生命を吹き込まれるのです。 So to all Americans, in every city near and far, small and large, from mountain to mountain, and from ocean to ocean, hear these words: なのですべてのアメリカ人は、この言葉を聞いて下さい。あらゆる都市にいる人、遠い近いを問わず、大小を問わず、山から山へ、海から海へ、聞いて下さい。 You will never be ignored again. あなたは二度と無視されたりしません。 Your voice, your hopes, and your dreams, will define our American destiny. あなたの声、あなたの希望、あなたの夢は、私たちアメリカの運命を決定するものです。 And your courage and goodness and love will forever guide us along the way. そしてあなたの勇気と善と愛が、永遠に私たちを導いてくれます。 Together, we will make America strong again. 一緒に、アメリカをまた強くします。 We will make America wealthy again. アメリカをまた豊かにします。 We will make America proud again. アメリカをまた誇り高くします。 We will make America safe again. アメリカをまた安全にします。 And, yes, together, we will make America great again. そしてそうです。一緒に、私たちはアメリカをまた偉大にするのです。 Thank you, God bless you, and God bless America. Thank you. God bless America. ありがとう。神様の祝福を。神様がアメリカを祝福しますように。ありがとう。神様がアメリカを祝福しますように。 (英語記事 Trump inauguration: Full text of new president's speech)
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カタカナとヘブライ語








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日本のルーツの謎?

メインメニューを開く 編集このページをウォッチする別の言語で閲覧 日ユ同祖論 ページの問題点 イスラエル12支族 イスラエル12支族 日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人)は共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説。スコットランド人が滞日中の明治時代に著した論を発端に、一部の日本人とユダヤ人によって提唱されている説。英ユ同祖論など、ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じる多数あるユダヤ人同祖論のひとつ[1][2]。ただし後述するよう、現在の遺伝学の調査からは、現代日本人と現代ユダヤ人の遺伝的組成は大きく異なっている事が示唆されており、この観点よりの日ユ同祖論はかなり苦しい。もっとも主に日ユ「文化」同祖論とすれば、以下に述べるように多くの議論がある。 日ユ同祖論は、主に以下の立場がある。 古代イスラエルの「失われた10支族」は、日本に渡来したという説。 古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族が、日本に来たという説。 英ユ同祖論における、世界に散らばった10支族の1支族であると言う説。 古代日本人は、ユダヤ人の先祖であるという説。 本項では、主に1について記述する。 前提知識(アブラハムの家系と聖書の預言) 編集 旧約聖書のアブラハム(紀元前17世紀)の孫はヤコブ(別名イスラエル)であり、ヤコブの12人の息子を祖先とするのが、イスラエル12支族である。12支族はアシェル族、エフライム族、ガド族、ベニヤミン族、イッサカル族、ルベン族、マナセ族、ダン族、ナフタリ族、ゼブルン族、ユダ族、シメオン族に分かれているとされる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住した後に、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。400年程続いた奴隷時代の後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)は民族をエジプトから連れ出し、イスラエル12支族はシナイ半島を40年間放浪し定住を始め、200年程かけて一帯を征服して行く。カナンの地に住み、ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂して、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方は文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。アッシリアに征服された後、信仰を深めるため、信仰を邪魔されない場所に移るとして、消息不明になったとされる(エズラ第4書13:39〜47)。 ユダ族等の残り2支族は、エルサレムを都として南ユダ王国を建国した後、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり、神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになる。ユダ族等は離散後、ユダヤ人と呼ばれるようになった。 ユダヤ人とは、現在では、ユダヤ教(旧約聖書のみを信じ、新約聖書を信じない宗教)を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)という2つの捉え方がある。当時のイスラエル人は有色人種であり、白色ユダヤ人(アシュケナジム)は8世紀頃、ハザール人のユダヤ教への改宗によって、ユダヤ人を名乗ったことに由来するとの説がある。日ユ同祖論でいうユダヤ人とは、有色人種としてのユダヤ人(セファルディム)であるという説もある。そして、同祖とはアブラハムやヤコブを意味すると言える。 エズラ書第4書(第2書とも呼ばれる)13:39〜では、「幻に現れたその群集は…九つの部族であった(写本によって、九部族/九部族半/十部族と異なる)。彼らは異教徒の群れを離れ、先祖がいまだかつて住んだことのない土地に行き、自国で守ることのできなかった規則をせめて守るようにとの計画を互いに持ち合って、さらに遠くの国へ向かった。……それはアルザレト(もうひとつの土地あるいは果ての地)という地方であった。彼らは最後までそこに住み…」とされている。 エゼキエル書37では、「主なる神はこう言われる…わが民よ、わたしはあなたがたの墓を開き…時、あなたがたは、わたしが主であることを悟る。……わたしはエフライムの手にあるヨセフとその友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。…… わたしは、わたしの地イスラエルの山々で彼らを一つの国とする。一人の王が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国になることなく、二度と二つの王国に分かれることはない。…… わたしの聖所が永遠に彼らの真ん中に置かれるとき、諸国民はわたしがイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。」とされている。 旧約聖書においては、セムは黄色人種の先祖であり、ハムは黒人種の先祖となり、ヤペテは白人種の先祖であるとされる。誤解してはいけないのは、当時イスラエルの周辺には古代イスラエル人の他にも様々な民族が住んでいたとされ、旧約聖書はイスラエル人、あるいはアラム人などのセム語族の視点で書かれたものなので、離散した古代イスラエル人(ユダヤ人)はイスラエルの地を離れて他の地域に散らばったということの目安でしかない。古代のユダヤ人は現在のアジア人や日本人と同じような風貌をしていたというわけではなく、ユダヤ人は全人類の先祖であるというわけではない。 「イスラエルの失われた10支族#古代イスラエルの歴史」および「古代イスラエル#士師の時代から王政へ」も参照 起源 皇室神道とユダヤ教の類似 編集 大化の改新の詔 編集 大化の改新は、モーセのトーラーと類似点がある。ヨセフ・アイデルバーグ『日本書紀と日本語のユダヤ起源』(徳間書店)等では以下のように述べられている。 神道の祭司一族であった中臣氏が主導して、専横する仏教派の蘇我氏を滅ぼし、このとき蘇我氏の放火によって全朝廷図書が焼失しつつも、神道を一時的に復興させたのが大化の改新(645年)である。大化の改新から大宝律令(701年)(神祇令)制定にかけては唐の文化を吸収しつつ神道の復興と制度化の過程であり、大化の改新の内容は、当時における神道の重要事項が中心であったと推測されるが、その内容は旧約聖書と類似している。日本で元号として初めて定められた大化は、ヘブライ語のthQWH(tikvah)「希望」(現イスラエル国歌:H・thQWH:その・希望)と似ている。大化は皇極天皇の4年目の7月1日 (旧暦)に始められたが、ユダヤ暦(古代の教暦ではなく政暦)では7月(ティシュリー グレゴリオ暦では9月から10月)1日はローシュ・ハッシャーナー(新年祭)で1年の始まりにあたる(「第七の月の一日は…聖なる集会の日としなさい」『レビ記』(23:24))。大化政府は7月14日 (旧暦)に神々に捧げる捧げ物を集めたとあり、ユダヤ教での仮庵の祭りは7月15日(ユダヤ暦では日没が1日のはじまりであるためグレゴリオ暦では7月14日の夕方18時頃)から始まる。改新の詔の「男奴隷と女奴隷の間に生まれた子は女奴隷側のものとする」は、『出エジプト記』(21:4)と同じである。また、詔での、土地の分配を家族の人数に応じて行うことと『民数記』(26:54)、親族の死についての断髪等の禁止と『レビ記』(21:5)、借り物に関して賠償すべき場合を限定した定めと『出エジプト記』(22:13)も同様である。 皇室神祇 編集 大化の改新の後、神道の皇室儀式の制度化は進められ、いくつかの定めのうち部分的に現在に伝えられているのが大宝律令(701年)の神祇令等である。神祇令においては、大嘗祭・新嘗祭の他、大祓の儀等が定められていたと推測される。天岩屋戸からアマテラスが出てきたときに祭司コヤネ(天児屋命)がスサノオの罪を清めるために唱えたといわれる大祓はコヤネの子孫といわれる中臣氏が伝えてきた祭儀とされ、大祓の儀は6月30日と12月31日とされており、ユダヤ教の区切りと一致している。また、大祓の祝詞では、天つ罪と国つ罪に分けていくつかの禁止事項が列挙されているが、二種類の種を播く罪(レビ記19:19)、近親相姦(レビ記18:6〜)、人体を傷つける罪(レビ記19:28)、呪術(申命記18:11)、こぶのある者(レビ記21:20)など旧約聖書の禁止事項と一致している。新嘗祭や大嘗祭は収穫を捧げる儀式であり、特に大嘗祭では仮庵を建てる。ユダヤ教で収穫を捧げて祝う祭りは仮庵の祭といわれ、エジプトを出て仮庵に住んだことを代々伝えるため、仮庵を建てて行わなければならないとされる(レビ記23:23〜)。 八咫鏡 編集 八咫鏡において以下の噂が流符している。 森有礼[8]が、伊勢神宮に安置されている三種の神器の1つ、八咫鏡の裏を見たとされる噂は、山根キク(山根菊子)が1943年(昭和18年)に不敬罪で逮捕される理由となったもののひとつである[9][10]。 また、きよめ教会(現「基督兄弟団」)の牧師 生田目俊造 (いくため しゅんぞう) のエッセイ「神秘日本」[11]において、恩師[12]に会いにA学院のS博士[13]が゛聖書学院にきたおり、宮中に古くから神体とされる鏡の裏の模様がヘブル語[14]であるということがわかり、依頼によって解読すると旧約聖書の出埃及(『出エジプト記』)3章14節「我は有て在(あ)る者なり」と刻まれていたと言ったというエピソードを恩師夫人[15]から聞かされたと記述した[16]。 これに関し1953年(昭和28年)1月25日に「在日ユダヤ民会」のミハイル・コーガン宅で行われた日猶懇話会例会でホーリネス教会の尾崎喬一牧師に尋ねられた三笠宮は、昭和天皇も自分(三笠宮)も鏡を見たことがない、いずれ調査するだろうと答えられ、これが1953年(昭和28年)1月26日付け東京イブニングニュース(Tokyo Evening News)で「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」(“Mikasa Will Check the Hebrew Words on the Holy Mirror!”)として報道されている[17]。 八咫鏡の裏にあるヘブライ文字については、作意を感じるとの意見もある[18]。 英国王の紋章 獅子と一角獣 編集 天皇家や神道において獅子と一角獣は重要な意味を持つが、獅子はユダ族の紋章であり、一角獣は北イスラエル王国の王族であるヨセフ族の紋章である。京都御所(清涼殿)には天皇家の紋章として、獅子(ライオン)と一角獣(ユニコーン)の紋章があったとされており、天皇の王冠には一角獣が描かれているとされている(『日本固有文明の謎はユダヤで解ける』、徳間書店)。現在でも京都御所清涼殿昼御座奥の御帳台(天皇の椅子)の前左右には、頭頂に長い一角を持つ狛犬と角のないものが置かれている(『日本名建築写真選集第18巻京都御所』、新潮社の写真)。天皇の即位に用いられる高御座の台座にも獅子と一角獣(麒麟)と思われる絵が描かれている。平凡社の『大百科事典』や平凡社の『世界大百科事典』では、狛犬について、「平安時代には…清涼殿の御帳前や…獅子と狛犬が置かれ、口を開いたのを獅子として左に置き、口を閉じ頭に一角を持つものを狛犬として右に置いた」とあり、京都下鴨神社の左の狛犬には角があると記されている。『狛犬辞典』戎光祥社には、京都御所紫宸殿障子絵として同様のものが掲載されているほか、八坂神社等の一角を持つ狛犬写真が多数掲載されている(下賀茂神社や八坂神社には秦一族の影響がありうる)。ただし奈良時代以前のものは、狛犬の左右に違いは無い。なお、ユダヤ系大財閥であるロスチャイルド家も同様のライオンとユニコーンの紋章を持つ(建物の入り口などに二匹の獅子が置かれる例は世界各地にあるが、これは古代イスラエル神殿(ソロモン神殿)の王座の横の二匹の獅子(I列王記10:19)に由来するといわれる。)(紋章を参照) 仁徳天皇陵(大仙陵古墳、大阪府堺市堺区大仙町) 仁徳天皇陵とマナの壷 編集 仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は、契約の箱に収められていたユダヤ三種の神器の一つであるマナの壷(pot of manna / jar of manna)を形取ったものではないかとも言われている。論拠の一つに陵に壷の取っ手とおぼしき膨らみが認められる。見方によっては鍵穴のようにも見えるが、向きを変えて見ると壷のような形にも見える。前方部は台形部分であり、後円部とは円形の箇所である(前方後円墳参照)。 神社神道とユダヤ教の類似点 編集 神社に関する神道(神社神道)とユダヤ教の類似については、例えばマーヴィン・トケイヤー『ユダヤと日本 謎の古代史』(産業能率大学出版 1975年(昭和50年))や『日本・ユダヤ 封印の古代史』(徳間書店)では多くの類似点が指摘されており、以下のような指摘がある。 神道 編集 神道の儀礼・様式 日本もユダヤも、水や塩で身を清める禊の習慣がある。 ユダヤ教では祭司はヒソプ(ヒソップのこと[19])という植物や初穂の束を揺り動かす。これは過越の祭について定めた『レビ記』23:11に基づいており、過越の前にヒソプで子羊の血を門に塗ったことに由来する(『出エジプト記』12:22)。これに対して、神社の神官も同様に榊の枝でお祓いをする。 ユダヤのメズサ(護符)と日本のお守りは似ている。 エルサレム神殿の門には、天皇家の16弁の菊花紋(菊花紋章後鳥羽天皇に由来)と共通した紋章が刻み込まれている。 神社の施設の様式 イスラエル民族がエジプトを出て放浪していたころの移動式神殿である幕屋や古代イスラエル神殿(エルサレム神殿)では、入口から、洗盤(水で洗う場所)、至聖所、聖所 と並んでいる。神社においても、入口から手水舎、拝殿、本殿 と並んでおり、構造が似ている。古代イスラエル神殿は木造建築であり(『列王記』6:9〜)、建築後に賽銭箱が備えられた(『歴代誌』24:8)。また、幕屋の神殿の内部は赤色だったとされており、神社にも赤色の神社がある(『ユダヤと日本謎の古代史』産業能率大学出版部)。 ユダ族の紋 日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりも獅子であるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。ライオンは、ダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。 イスラエルの国旗に入っている六芒星=ダビデの星 伊勢神宮の内宮から外宮に至る参道の石灯眥(石灯籠合計約700基)には、ダビデの星が刻み込まれている(ただし、伊勢神宮の参道の灯籠は第二次世界大戦後に寄贈されたものであり、GHQの指示があったといわれる。元伊勢のものにも同様のものがあるが、これも寄贈されたものといわれている。伊勢神宮の石灯篭は、神宮審議会では、菊の紋はよいがヒマワリの紋はいらないとしたところ、当時の式部官二荒伯爵と森岡善照(元大阪タクシー(株)社長)奉賛会長の主張により入れたが、実はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からダビデ王の紋とヘロデ王の紋を入れたら許す、との圧力がかかったともいわれている[18]。また、ダビデの星は単純な幾何学模様であり、ダビデ王の紋でもヘロデ王の紋であったことはなく魔術ではソロモンの封印と知られたものである。これは研究者の間では重視されない傾向がある)。 神社の構造 古代ヘブライ神殿と日本の神社の構造は似ている。もともと、古代ヘブライ神殿は「幕屋」と呼ばれる移動式であったが、幕屋はその名の通り、周囲を幕や板で囲み、中で神に捧げる祭睚を行なった。全体ではないが、囲むという概念は日本の神社でも見られ、同様に祭睚は極秘である。幕屋の中の構造は基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれていて、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。有名な古代ソロモン神殿(エルサレム神殿)の前には、お耄銭(賽銭)を入れる箱も置かれていた。 1953年(昭和28年)10月5日、外宮遷御の儀。史上初めて写真撮影が許可された。 伊勢神宮の遷宮は、幕屋が移動していたことに似ている。神宮式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃である。この時代に創建(または再建)された法隆寺の堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。それをあえて、20年毎に定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため公式には不明である。 六芒星 籠目紋「籠目」 現在、日本人の総氏神とされる伊勢神宮であるが、この伊勢神宮の遷座伝承地(元伊勢)の1つが籠神社であり、この籠神社の宮司を代々務めてきたのは海部一族である(海部俊樹元首相の遠い親戚)。現在82代目宮司を務める海部光彦は最近になって、それまで極秘であった“裏家紋”を公開した。籠神社の奥の院である「真名井神社」の石碑に刻み込まれた、その裏家紋は、「ダビデ王の紋章(六芒星)」であった。なお、日本古来の籠目紋は六芒星と同一である。籠神社が籠目紋を用いるのは自然と言えば自然であるが、その関連の解明が待たれる。 伊勢神宮暦は他の神社と違って、ヘブライ暦(ユダヤ暦)と一致している[要出典]。 祭り・神事 諏訪大社では、「御頭祭」(おんとうさい)という、イサク奉献伝承に似た祭りが行われていた。旧約聖書によると、アブラハムはモリヤの地(現在のエルサレム)の山(モリヤ山)で神から息子イサクを生贄として捧げるよう要求され、アブラハムが神への信仰からイサクをナイフで殺そうとしたところ信仰が明らかになったとして天使から止められるという話がある。守屋山(モリヤ山)が御神体である諏訪大社においても、少年を柱に結び付けて神官が小刀で切りつけようとすると使者が現れてこれを止めるという御頭祭が明治初めまで行われていたとの記述が守谷資料館に残されている(これに似たものとしては、ネパールのジャトラの柱立て祭りがある)。御頭祭の起源について、8世紀ころには行われていたと主張され、さらに古い時代からも行われていたと主張されるが、詳細は不明である。 神事である相撲は、ヤコブと天使の格闘に由来すると主張される。ヤコブは天使との格闘に勝ったことで、神の使いとしての権限を与えられた。神道で相撲の由来は『古事記』のタケミカズチとタケミナカタの力競べにあるとされ、これによって国譲りが確定し、ニニギに地上の支配権が与えられることとなった。 祇園祭りに登場する数多くの山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在している。京都府京都市下京区四条烏丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは、旧約聖書の『創世記』の一場面を描いた16世紀末のタペストリーである。中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは、古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図である[20]。 年中行事 生後30日目に赤ちゃんを神社(神殿)に初詣でさせる習慣は、日本とユダヤにしか見られないものである。 正月の鏡餅 手作りの種なしのパン(マッツォ) 鏡餅 ユダヤ人の宗教的な行事で、日本と最もよく似ているのは過越(すぎこし)祭である。過越祭(ペサハ)は、ユダヤ教でいう新年の祭りで、ユダヤの祭日のうちで、最古かつ最大のものである。その日は日本の年越しと同じように、家族で寝ないで夜を明かす。更に、過越祭の日だけは普段と食べるものが違っていて、普段はふっくらとしたパンを食べるのであるが、この日に限って、「種なしのパン(マッツォ)」を食べる。この種なしパンは日本でいう「餅(モチ)」に当たる。しかも、ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供えるのだが、これは日本の鏡餅に類似している。過越祭は全部で7日間と規定されており、これも日本の正月の期間と同じである。 過越の夜に種なしパンと苦菜を食べたように、代々どこに住もうとも守らなければならない不変の定めとして過越の祭(ペサハ)を祝わなければならないとされている。過越の祭では、家の中から酵母がなくなるよう直前に掃除を行い、正月の14日の夕方から7日間にわたって種(酵母)のないパン(Mthth/MthH: マッツァー:発酵させないパン)を食べ、苦菜を添えて食べなければならないとされている。1日目と7日目は仕事をしてはならない(『出エジプト記』12:1〜/『レビ記』23:1〜)。これに対して日本では年末に大掃除を行い、旧暦1月15日(1月15日 (旧暦))は小正月であり、発酵させないパンであるモチを食べ、その後、正月の7日に七草粥を食べる。ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供えるが、これは日本の鏡餅に類似している。 厳島神社 朱丹の大鳥居(厳島、広島県廿日市市宮島町) 赤い(朱塗りの)鳥居 トリイ(鳥居)は、ヘブライ語アラム方言で門という意味であり、神社のトリイは過越の前にヒソプで羊の血を塗った門を意味すると主張される(トリイの起源については、インドの仏舎利塔の前に建てられたトラーナとする説や中国の陵墓の前に建てられた華表とする説などもある)。(久保『神道の中のユダヤ文化』では、門はヘブル・アラム語で「タラア」とされている。) ユダヤ人の過越祭(ペサハ)は、モーセによる“エジプト脱出事件”(紀元前1290年)にルーツを持っているが、同じく、日本の年越しや鳥居も、この大事件にルーツを持っていると考えられる。モーセは、かたくなな心を持つエジプト国王ラムセス2世に、ヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。その時、モーセは、ヘブライ人たちに神の災いに合わないように、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、災いが静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した[21]のであるが、これこそが赤い(朱塗りの)鳥居のルーツであり、年越しのルーツであるとされる。 フランス南西部オーシュにあるサント・マリー大聖堂のレリーフに彫られた契約の箱 豪華装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた契約の箱 敏馬神社の神輿(兵庫県神戸市灘区岩屋中町) 契約の箱と神輿 古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿(みこし)は、良く似ている。 ヘブライの秘宝、「契約の聖櫃(アーク)」は、現在に至るまで行方不明であるため、「失われたアーク伝説」として、広く公式に知られている。アーク(聖櫃)とはモーセが神から授かった「十戒石板」(モーセの十戒)を保管するための箱で、全体に黄金が貼られており、『旧約聖書』の『出エジプト記』には、そのアークの作り方が克明に記されているのだが、その記載を見る限り、日本の神輿(みこし)にそっくりである。 アークの上部には2つのケルビムの像が羽を広げて向かいあっているが、日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、大きく羽を広げている。アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。しかも、かつぐための2本の棒は絶対に、アークから抜いてはならなかったように、神輿の棒も抜かれることはない。祭りが終わった後も、棒を差し込んだまま保管されているのである。このように、日本の神輿と聖櫃(アーク)との類似性は高い。 その他 日本の神道の天地創造においては、三位一体の唯一神信仰(唯一神教)であったことが複数の神道研究家[誰?]により明らかにされているが、この三位一体信仰は、キリスト教における三位一体(ヤハウェ・イエス・聖霊)の位置と極めて似ている。 伊勢神宮の奉納太鼓のことを「シオン太鼓」と言うが、読み方だけが伝承されており、由来が不明となっており、シオンに由来している可能性がある。なお近年「神恩太鼓」と呼称されるが当て字である。 ユダヤ人は現在でも13歳の男子に、成人を迎える儀式、“バル・ミツバ”を行なうことで有名だが、日本人も昔、13歳の男子に成人を迎える儀式、元服式を行なっていた。 ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には、必ず入り口で禊として手を洗う。ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人はバスタブの中で体を洗う。 『レビ記』23:33〜では、7月15日は収穫祭ないし仮庵の祭とされる。ただし、『列王記』12:32では北王国では8月15日を祭の日にしたとされている。これに対して日本では、7月15日 (旧暦)は祖霊祭(たままつり)ないしお盆であり、8月15日 (旧暦)は十五夜である。 修験道 編集 テフィリンを身に付けて祈りをするユダヤ人兵士 伽耶院採燈大護摩供での山伏問答の様子(兵庫県三木市) 山岳修行者の出で立ち(都年中行事画帖〈1928年〉) ユダヤ教徒は祈りの際に黒い小箱(ヒラクティリー、en:Phylactery、別名、テフィリン、en:Tefillin)を額に結びつけ羊の角笛ショーファールを吹くが、山伏も黒い小箱(頭襟)を額に結びつけ角笛に似た形の法螺貝を吹く点で、非常に類似している。このような類似性は、世界中のどの民族、宗教にも見られず、ただ、ユダヤ教徒と日本の山伏との間にのみ、存在する。 山の神といわれる天狗の像は兜巾をつけてしばしば虎の巻を持ちそれを修行者に授けるといわれるが、イスラエルの民はシナイ山でヤハウエからトーラー(十戒(律法)が刻まれた石板)を授かった。 古代ヘブライの祭睚レビ族は、みな白い服装をしていた。非常にゆったりとした和服のような服で、そで口には「リンネ」と呼ばれる房が4つ付いていた。ヒラクティリーを使用していた。彼らの姿は、まさしく神道の神官や修験道の山伏のような姿をしていたのである。 ユダヤ人が羊の角から作る笛ショーファーと山伏の吹く法螺貝は、音色が似ている。日本では羊の角が入手出来なかったので、似た音の出る法螺貝で代用したという説がある。 四国の徳島県の修験道の聖地にして、霊山である「剣山」には、ソロモンの秘宝が隠されているという根強い噂があり、一時、発掘隊が組織された時期もあった。この剣山では毎年、「神輿祭り」が行なわれるが、その日は、明治以降の「祇園祭り[22]」の前祭と同じ、7月17日(グレゴリオ暦)である。なお、ノアの箱舟はユダヤ暦(太陰太陽暦)7月17日[23]にアララト山に漂着された日とされている。7月17日はユダヤ暦の半日祝日となっている。 沖縄 編集 ユダヤ人は過越の祭り(ペサハ)を行う。イスラエルの民が奴隷状態にあったエジプトから脱出するにあたり、これを助けるため殺戮の天使がエジプト人の家々の長男を殺してまわるという事件があった。その際、イスラエルの民は羊の血をヒソプという植物の束につけて家などの門口に塗ってイスラエル人の目印として天使をやり過ごして避けた。その後この羊を焼いて食べたとされる(『出エジプト記』12:22)。過越の祭はこれを祝うものである。これに対して特に琉球では看過という風習がある(『沖縄大百科事典』沖縄タイムズ社)。なお、琉球の墓は横穴式で白く塗られ(亀甲墓中国と同形式)、ユダヤ式の墓(マタイ23:27)に似ているとされる。 秦氏 編集 秦氏は第15代応神天皇のときに、大陸から渡来して、この時10万(19万ともいわれている・諸説あり)もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の太秦(ウズマサ)の地に定住するようになったという。 秦氏は非常に有力な一族で、794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られ、仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があった(ちなみに、羽田孜元首相は秦氏の遠い親戚に当たるという[要出典])。 佐伯好郎は1908年(明治41年)1月に『地理歴史 百号』(主宰 喜田貞吉)論文「太秦(禹豆麻佐)を論ず」で秦氏は景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人であると考察した。その内容は、「大闢大主」は、中国の景教の経典においてはダビデの意味であり、秦氏の建立した神社である大避神社(大酒神社)と、また景教の寺は「大秦寺[24]」で太秦と関係があるといったものである。 秦氏の本拠地にある八坂神社の祇園信仰にも、古代ヘブライの信仰と類似している点がある。八坂神社や伊勢神宮の周辺などに、「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにもダビデの紋章が出てくる。また、Yashashkar(ヤ シャッシュカル)とは10支族の一つイッサカル族(Issacar,???????????)のアラム語における呼び名である。 宮沢正典は著作『増補ユダヤ人論考-日本における論議の追跡』(新泉社 1982年)64-65ページで「うづ」はアラム語・セム語のイシュ・マシャであり、イエス・メシアを表す言葉であるとした[25]。 太秦にある秦氏の神社である蚕の社には三位一体神を意味する三柱鳥居という変わった鳥居があり、アメノミナカヌシ神をその祭神としていたが、元伊勢である「眥(籠)神社」に伝わる海部氏勘注系図(国宝)によれば、日本の天地創造の三造化神の筆頭である天御中主神(アメノミナカヌシ神)は、伊勢神宮外宮の祭神、豊受大神のことであると明記されている。 秦氏は弓月の君(ゆづきのきみ・ゆみつきのきみ)と呼ばれていたとされる。弓とは英語でアーク、弓に矢を通した形状は三日月に似ている。月と関係している何かを持っていたのではないか、弓矢などの武器を扱っていたのではないか、と推測出来ないことも無い。 留意点(秦氏) 編集 日本とイスラエルの類似点については、ユダヤ系キリスト教徒ともいわれる秦氏(秦一族)の活動が影響している部分があるとの指摘がある。ケン・ジョセフ『日本・ユダヤ封印の古代史2仏教・景教編』徳間書店 では以下のように述べられている。 秦氏は、もともとは、景教徒の拠点であった中央アジアの弓月国に住んでいた。彼らは景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰し、アッシリア以降の中東の共通言語であるアラム語を話していたとされる。彼らはユダヤ人と同様に養蚕や絹織物技術にすぐれていたとされる。弓月国には、ヤマトゥという地や、ハン・テングリ山という山があった(「テングリ」はキルギス等の中央アジアの言葉で「神」という意味とされる)。 秦氏は、中国での万里の長城建設の労役を逃れるため、西暦(紀元後)360年頃から数回にわたって日本に渡来した。5世紀末には渡来者は2万人程になったという。5世紀末、秦酒公は日本酒技術を発展させ、また養蚕で成果を挙げてウズマサの称号を得たとされている。秦氏は絹技術や西方知識を持っていたため天皇の保護を受け、天皇に仕え、絹事業(ハタ織り)で財をなし豪族となった。皇極天皇(642〜645)に関する日本書紀(720年成立)には、ウズマサ(アラム語でのイシュマシァ(Ish Mashiach、インド北部ではユズマサに由来するといわれる)また、ヘブライ語ではヨシュア・メシア:選ばれた者ヨシュア、ギリシャ語ではイエス・キリスト)を信仰する豪族として秦河勝という人物が登場する。748年、秦大酒は大蔵長官となり朝廷の財政に関与したといわれる。 秦氏は京都の太秦を本拠地としていた。その一部は大分の宇佐に住み、一説には710年頃に成立したともいわれるヤハダ神(YHWDH:ユダ/ユダヤ)を信仰し八幡神社を創設した。Yahawada (????????)とはアラム語で失われた支族のユダ族を意味する。八幡神社は749年頃に急に勢力を持ち始め、奈良に上京し、このときはじめて神輿をもたらした。これが神輿の起源で、八幡神社は全国に広まったという。 ユダ族のスケッチ 秦氏は平安京の造成に尽くしたとの説がある。仏教勢力から逃れるため794年平安京遷都が行われ、その直後に京都で祇園祭が始まった。また、秦公伊呂具は稲荷神社(イナリ:JNRI/INRI:ユダヤの王・ナザレの・イシュ(イエス):当時の支配者ローマの公用語ラテン語でのキリストの別称)を創建したとされる。元伊勢には秦氏の関与するものが多く、伊勢神宮の遷宮に関与したとの説がある。松尾大社は秦都理が創建したといわれる。京都の下鴨神社は秦一族の族長を記念して建てられたという説があり、皇室の儀式を多数執り行った。景教はユダヤ教に近いとされるがキリスト教である。このことから秦一族は南王国に由来するユダヤ人との見方が有力である(ただし、秦一族には舟の家紋を持つものが多く、十支族のゼブルン族が舟の紋章を持つこととの関係も指摘されている)。ウズマサ明神を祀る京都太秦の大酒神社は古くは大辟神社といい、大辟は中国ではダヴィといいダビデを意味するとされる。また、秦河勝が弓月から持って来たという胡王面(異国の王の面)はユダヤ人あるいは天狗のように鼻が高い。 なお、神社神道の起源に関して、そもそも神社の創建は仏教の寺院に触発されたものと主張する説がある。神社の創建は仏教伝来(538年)以降で、(『神道概説』学生社)最初の本格的仏教寺院は飛鳥寺(596年)といわれる。一方伊勢神宮の創建は674年であるとする説が多数説とされる。 しかし神道の信仰形態が仏教(人霊信仰)からどのように派生(影響・触発)したのかは解明されておらず、また、神道の社(ヤシロ)の形式を見ると、神道信仰は古代ヘブライの信仰に類似点があると言わざるを得ない。 フェニキア系文字の対照図 左から、ラテン文字・ギリシア文字・フェニキア文字・ヘブライ文字・アラビア文字 ヘブライ文字 カタカナとヘブライ文字の類似点 ヤマト言葉とヘブライ語の類似 その他の論点 批判と反論 編集 批判 セム族は、人類学的にはコーカソイド(白色人種)の一つ[31]であり、モンゴロイド(黄色人種)とは風貌及び遺伝子がかけ離れている。 世界の18人類集団の遺伝的近縁関係を23種類の遺伝子の情報をもとに近隣結合法によって推定した結果(国立遺伝学研究所の教授・斎藤成也)。 セム族で、ユダヤ人と近縁であるアラブ人と、多くの日本人の風貌の違いを見ればよくわかる。ただ、中近東やインドなどに居住する東方コーカソイドは、欧米白人には白人扱いされず、「有色人種」と呼ばれているが、それは、多くの黄色人種とは意味が違う。日ユ同祖論の論者の間では、この宗教的思想から来る誤解は根強く、セム族、もしくは古代ユダヤ人は「黄色人種」であり、日本人と同族という間違った前提による解説がなされている事が多い。イエスも実際は当時の画などから有色人種であるが、その画は現代の多くのアラブ人そっくりで、多くの日本人とは似ても似つかぬ姿である[32]。また、多くの日本人は外見だけではなく、遺伝子レベルでもコーカソイド(肌の浅黒い中東やインド系の人々も含む)とは縁が遠い[33]。 反論 単純な意味でのコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドという外見に基いた人種の分類は現在遺伝学的に正当なものとはみなされなくなってきている(→人種)。遺伝学の発達した現在においてアフリカ単一起源説が有力視されているが、この論から、長大な時間により人の外見は大きく変化する事が説明できるため、外見は参考資料にしかならない(現に日本人の体格や顎の骨は戦前戦後という100年程度で変化している)。また、反論中のコーカソイドで分類される西洋人と中東人の外見は大きく異なる点が無視されている事に加え、縄文人と弥生人の頭蓋骨に大きな差があることも無視されている(縄文人がポリネシア人に似ていると後述しているが、その縄文人の外見についてをこの時点で無視している)。遺伝子レベルでは約30%程度の日本人は、漢民族や朝鮮民族には見られないハプログループD1bである。(ただし前述であるように、D1b系統は大多数のユダヤ人とはむしろ遠いことが分かっている) また、セム族はアフロ・アジア語族で、アフリカとアジアに分布する特定の言語構造や類似単語を持つ言語を使う民族群を指すものであって外見を基にした人種によって分類される集団の名称ではない。即ち「セム語族(セム語派)≠(外見を基にした)特定の人種」であるにも関わらず「セム語族=白人」から始まるこの反論は説得力に乏しい(現実的には同一言語を話す集団であれば同じ一族であると考えられるが、セム語派とは文字通り複数の言語があり、その利用される地域は広大であることから人種の限定はできない)。また、セム語族とモンゴロイドは混血となればアジア系のような風貌となる事は考えられる。 反論は単純に外見による旧来の人種分類と遺伝学によって証明された分類の混在が行われており、「人種」の用法があいまいになっている。 後続する異論において恣意的という指摘があるが、ここで資料とした『イエスの顔』があくまで当時の誰とも知れない人物の顔を再現したに過ぎないものを資料としている点にも同等に言及できる。 批判 セム、ハム、ヤペテの三大人種起源説については学説でも何でもなく単なる旧約聖書をベースとした宗教理論もしくは思想でしかなくユダヤーキリスト教の敬虔な信者以外信じるに値せず、この説は単に旧約聖書が書かれた時代の古代オリエント社会の三大人種、つまりセム族(東方コーカソイド)、黒色人種、白色人種という分類を近代のユダヤ-キリスト教系の宗教学者や思想家が無理に現代の三大人種論に分類し黄色人種、黒色人種、白色人種に当てはめただけと考えられる。当時のオリエント社会では日本人、中国人などの黄色人種(モンゴロイド)は見た事もない存在だったのは間違いない。また旧約聖書をベースに唱えられている人類血統論は非科学的であり、カインの系譜がノアの大洪水で滅びているなどかなり痛々しい。 反論 これは三大人種起源説への批判で日ユ同祖論への批判ではない。セム、ハム、ヤペテは旧約聖書をベースとした古代イスラエル人の視点における人種分類であって、セム族は黄色人種系の先祖とされているものの、セム族は中東文化圏に住んでいなかったモンゴル系民族を先祖とするモンゴロイドではない。また、旧約聖書は、大勢いたイスラエル人の一部が古代オリエント地方を離れ、東アジアへ離散・移住した古代イスラエル人は皆無であったと決定付ける判断材料にはならないことは言うまでも無い。離散した古代イスラエル人は30万人にのぼるとされている。 批判 日ユ同祖論者の論の立て方は極めて恣意的である。 例えば、イエスなど古代ユダヤ人を描写する「黒髪、黒眼、褐色の肌、縮れた髪」などを、古代ユダヤ人が日本人の祖先である証拠のように言いまわす例もあるが、「黒髪、黒眼」は黄色人種の他にも、東方コーカソイド、ネグロイド(黒色人種)、ラテン系コーカソイドなど大半の人種・民族に当てはまり、「褐色の肌、縮れた髪」に至っては多くの黄色人種離れした特徴で、多くの東方コーカソイド、多くのネグロイドに強く当てはまる特徴であるにも関わらず、単に、イエスなど古代ユダヤ人が白色人種(ここでは欧米系白人ではないという意味)ではないという証拠のみを強調して使われてしまったりする事が多い。そもそも太平洋地域に広く分布し、縄文人の身体的特徴と似通っているポリネシア種族について無視されていること自体、学説的に不自然である。ユーラシア大陸を横断し、日本に渡る過程で異種族との混血が発生したとするならば、その地域文明との融合もなくてはならないはずであり、生殖的な融合のみ発生し、極東の日本だけにユダヤ文明がたどり着いたという考えは、民俗学的にも不自然極まりない。つまり、日本へ渡る過程のルート、それぞれの地域で、DNA融合があったというのならば、それぞれの地域でユダヤ同祖説が成り立たなくてはならないこととなる。反論として、例えば「全ての日本人がイスラエル支族の末裔と主張しているわけではなく、日本人の一部に支族の末裔がいると考えられるというだけである」というものがあるが、これが成り立つためには、いずれにせよ異種族との混血が全然起こりえなかったようなルートでユダヤ文明がユーラシア大陸を横断してきたと考える他ないが、これもまた不自然である。 反論 西安からローマまでシルクロードは約12,000〜13,000kmであり、徒歩で一日にわずか5kmしか移動しなかったとしても8年で移動できる。当時の最強国家であるアッシリアの武器や馬、ラクダなどの移動手段を持てば、10年もあれば(たった一世代のうちに)中東から日本へ移住してくる事は出来るため、混血が発生しなくとも不思議ではない。そして、日本列島内、あるいは経由地において混血が発生して、遺伝子分類において分岐した事も考えられるので不自然では無いと言える。 そもそもユダヤ人10支族については日本以外の地域にも同祖の可能性のある地域は数多く存在しており、「日本に限定して子孫がいる」という論を展開しているわけではない事への認識が欠落している。(開封のユダヤ人) また、ユダヤ文明の影響は神殿や寺院の入り口に獅子を置くなど、中国においても見られる。 身体的類似はその通りであり、「そのためセム語族は白人であるからありえない」という反論の論拠も崩れてしまう矛盾が発生している。そもそも旧約聖書におけるセム、ハム、ヤペテの人種分類とは古代イスラエル人の視点における分類で、エジプト人、シュメール人、アッカド人、カナン人、アラブ人、ヒッタイト、フェニキア人、エラム人、テュルク人、アッシリア人、ギリシャ人、ローマ人や隣接地域にいた民族集団を含まないので、もともと科学的では無い。ポリネシア種族に関しては、DNA分類ではC系統であるとされており、これは中国北部・南部や東南アジアにかけてよく見られるDNAで、日本人に見られるYap因子D系統や中東、オリエント地方に良く見られるE系統に近いものではあるものの、分類上分けられている。 批判 天皇家の三種の神器の一つ、八咫鏡の裏にヘブライ文字が刻まれているらしい事を証拠とする意見があるが、実証不可能である。仮にヘブライ文字が刻まれていたとしても、正倉院にペルシアの宝物が収められていたのと同じく、証拠にはならない。 その他の天皇家とユダヤのつながりを示す証拠と言われるものは、近代発祥のものや、実証不可能なものも多い。 例えば、伊勢神宮には籠目模様の刻まれた石燈籠があり、これがユダヤ人のダビデの星と六芒星である点が同じであると一部論者により唱えられているが、矢野憲一『伊勢神宮 日本人のこころのふるさとを訪ねて』(講談社、1991年 ISBN 4-06-198041-6)によれば、1958年(昭和33年)頃、皇太子(後の今上天皇)結婚記念で、全国の石屋が組織した「伊勢三宮奉賛献灯会」が献灯した際、内宮、外宮、伊雑宮の三宮を日、月、星で表したものが偶然似たものという。 反論 神器についての異論は、本論においても明確な情報ではない事の断りが記されている。そして、古墳の発掘調査は禁じられている為、現段階では詳しく検証することは不可能である。 仮に事実と異なる情報だったとして、物証として現物が存在しないからといって即その可能性を否定する事はできない。これは同時に肯定する根拠も明確ではない事と同義だが、そのことについては繰り返しになるが論中に注記されている。 批判 古代イスラエル民族の信仰していたユダヤ教は唯一神との厳格な契約に基づく宗教であり、日本の神道は西洋宗教のような一神教ではない。両者の「神」概念は対極にある故[28]、とても同祖であるとは考えにくい。 反論 古代イスラエルやセム系と呼ばれる人種が住んでいたイスラエル周辺諸国においてはユダヤ教のみならず様々な信仰が存在していたと旧約聖書に記されている。ユダヤ人の中には、パレスチナ地域の先住民であったカナン人の宗教や、バアル信仰などの自然信仰や偶像崇拝に傾いた民も存在していたと旧約聖書に記されている。古代イスラエルの一般市民は、少数の選ばれた身分の高い聖職者や、祭司のように厳格な一神教徒ばかりでは無かったと聖書に記述が存在している。厳格な宗教教義に従うもの、そしてイエス・キリストのようにユダヤ教の教義に疑問を持った人が長い歴史の中で何人か存在していても不思議ではないということは普通に考えることができる。 批判 古代ユダヤ教では塗油といって、油を神聖なものとして、聖者や特定人物などの体に清めの油を塗る習慣があるが、日本ではそんな習慣はないどころか、油は比較的、清浄とは思われていない。油が神聖とされるのは、地中海気候の乾燥した土地特有のものである。[34] 反論 いくつかの矛盾を先に指摘後、塗油に関する資料を提示する。 矛盾1)塗油は指摘の通り重要な儀式であり、王や救世主、聖職者にのみ施される。それがそのままのものと考えた場合、「一般人には適用されないため民俗として習慣化する事はありえない」。何故なら『重要な儀式』である以上民俗学で言うならばハレにあたるもので、それは盆やクリスマスなどと同様日常の風習ではなく、さらにこの重要な儀式は明確なサイクルで行われるものではないからである。さらに突き詰めるならば、一部の階級の人間のみに対して行われるものである以上、信徒が気軽に行えるものではない。 矛盾2)塗油が一般的な儀式としそれがそのまま維持されなければ説明にならないと言う場合、「日ユ同祖論の該当年代よりもはるかに後になって伝来したカトリックの塗油が現在習慣化していない理由が説明できない」。カトリックの塗油が民俗風習化していない以上、塗油が習慣として存在しないからといって伝来を完全否定する根拠にはならない。カトリックの塗油が途絶えたと言う主張をした場合、同じ理由をユダヤによる伝来の断絶にも適用できてしまう。 矛盾3)異論の通り、そもそも地中海で見られる油を塗る行為は地域に根付いた習慣であり、もっぱら日焼け止め等肌の保護や美しく見せる目的である。油だから忌避すると言うイメージは恐らく石油、鉱油などから来ていると思われるが、植物性油脂によるサンオイルやアロマオイルは現代日本に商品として存在しており利用されている以上、清浄なものと思われないから肌に塗る行為は存在しないと言う展開と矛盾する。かつ、日本は地中海ほどそれを必要としない気候である以上、習慣化し得なくとも不自然ではない。 補足1)ユダヤ教における洗礼は沐浴であり、これは日本にも禊と言う類似した行為(いずれも水を使用する)である。この点で本異論に従った場合立派に伝来していたと説明が可能になってしまう。 補足2)日本の油の歴史は古い(→エゴマ、大宝律令(徴収)、日本書紀(発見))が、植物性油脂(地中海地方で用いられる油の多くはオリーブオイル)を抽出する技術の登場は平安時代(→[35])になってからである。つまり、例え習慣を持ち込んだとしても油が存在しないもしくは高価であるため維持できなかったと説明しても不自然ではない。 現実的にユダヤにおける塗油については指摘の通り非常に重要な儀式だが、より詳しく旧約聖書を紐解くと『生きている人(※ここでの人はユダヤ人のみを指す。それ以外は異邦人と呼ばれる)に油を塗る事は罪である』と解釈される(エゼキエル書 34:31 及び出エジプト記30:32 参照)事、及び、指摘されている通り『大変重要な儀式』であり、王、救世主、聖職者など一部に対してしか行われないのがユダヤ教における塗油である。 ハヌカと言う油に因んだ祭りがユダヤ教には存在するが、これは塗油に関係するものではなく、マカベアの反乱 (紀元前2世紀頃) 時、一日の油で八日火が燃え続けた事から発生している。 一方、日焼け止めとして或いは痛みを和らげる目的の嗜好品としても古くから油を肌に塗るという行為は、他にも類似の儀式として花嫁に対する塗油行為が挙げられる。これはそもそも油の神聖視自体がユダヤ教に起因するものではないからと考えられる(→[36] [37]) このように「罪とされるにも拘らず習慣化している」事の不整合は「儀式としての意味の有無」に注目する事で解消でき、例え不自然に感じられたとしても、異論に指摘されている通り、儀式においても一般嗜好品としても地中海地方で存在していた事実は変わらない。 通俗として伝わっていないとしても儀式として伝わっていないとしても、矛盾で指摘した通り塗油の風習が無いからといって渡来を否定する根拠にはならない。 同様に、次に続く貴重品の伝来についても『存在しないから、もしくは別のものが存在するからといって伝来の可能性を完全否定するものにはなりえない』(ユダヤは滅亡していたのでありえない、などであれば成立するが、そのような事実は無い)。 批判 ユダヤとペルシアは同じ中近東で、文化には幾分の類似点がある。日ユ同祖論の証拠にされる事が多い、狛犬などの神殿構造も、実際はユダヤではなく、ペルシアから伝わったという説が有力である[38]。飛鳥時代にはペルシア人の景教(ネストリウス派)徒で、日本に渡来した石工の李密翳という人物が、聖書文化を伝えたとされる。古代中国はペルシアとの交流が盛んで、中国に百を超えるペルシア人コロニーがあり、説話や文化を中国に伝えた。そして、それを遣隋使・遣唐使などが日本に持ち帰ったとされる[39]。 反論 古代ペルシアやメソポタミア地方とイスラエル周辺は時期によっては交流もあって勢力圏を共有していた故、ユダヤ人はペルシアにも居住していたことは事実のようである。古代ペルシャは、サーサーン朝のように国教ゾロアスター教の他にユダヤ教やキリスト教の信仰を許していた時期もあった。(バビロン、バビロン捕囚、キュロス2世)を参照 批判 「秦氏はネストリウス派キリスト教を信仰するユダヤ人だった」という説には年代から考え矛盾がある。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で「異端」とされ、その後、東方に布教活動を移したことが知られているが、中国へ伝来したのは7世紀、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられたころであり、秦氏の日本渡来より200〜300年あとのことである。 反論 景教ネストリウス派の中国への伝来は公式には7世紀であったとしても、一派が先に渡来していたかもしれないという可能性を無視しており、よく調査せずに決定付ける事には無理がある。秦氏の日本への渡来は複数回あったとされる。 日ユ同祖論に関連する説 脚注 代表的論者 参考文献 関連項目 外部リンク 最終編集: 2 か月前、Tanayuka 関連ページ イスラエルの失われた10支族 アミシャーブ 漢氏 Wikipedia® コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 3.0のもとで利用可能です。 プライバシーデスクトップ
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LOVE
どちらにしろ、生きてくってことは愛すること。 そして許すことだ。 でも、それが上手く言えない。 それを上手く伝えられない。 だから愛なんだ・・・

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